―現代語学塾の活動より―

授業風景 … 塾報『クルパン』クラス報告から

映画で会話クラス (第76期世話人 H.I./2009年1月)

忘れられないのは例えばこんなシーンだ。

脱北者の男女が主人公の『国境の南側』。夜の海岸でチャ・スンウォンがチョ・イジンに語りかけている。遠くにイカ漁の灯が見える。

……낙지잡이가 한창인가? 대낮보다 환하구나야. 아아, 낙지잡이는 여름철이지. 여기 사람들은 참 이상해. 길쎄 낙지를 오징어라고 부르지 않겠니?  이상한게 한 두 개가 아니야…….

そう、北朝鮮では韓国とは逆に、イカのことを낙지、タコのことを오징어と言うのだ。길쎄は、글쎄の北朝鮮사투리である。ストーリーは、元婚約者同士の切ない再会を描いた「韓流王道」の物語なのだけれど、私たちは毎週、慣れない北朝鮮言葉と格闘することとなった。

ペ・ヨンミ先生率いるこのクラスでは、映画の台詞を一文一文、聞き取りをしながら学んでいる。映画には사투리はもちろん、現代風の発音変化、ケンカ言葉や俗語がいっぱい詰め込まれている。辞書はあまり頼りにならない「生きた韓国語」の授業である。

2時間ほどの映画一篇を、3~4カ月かけてやり終える。それは映画を観るというよりは、映画を制作する時間の流れに似ている。だから私たちは、脚本家がセリフを推敲し、俳優が役作りに苦労しながら演じ、監督が場面ごと伏線を考えて撮ってゆく過程を、知らず知らずに追体験しているのかもしれない。

『国境の南側』では、チャ・スンウォン一家がソウルで開いた平壌料理の店がワイドショーで取り上げられ、リポーターからいかにも軽薄にいじられる場面が出てきた。他方、街なかでは사투리に気づかれた瞬間、煙たそうな視線が投げかけられる。今の韓国で、脱北者(새터민)たちが置かれている微妙な立場が浮かび上がるようでもある。劇場では見落としがちな発見が、いくつもある。それが、映画を通して韓国(語)を学ぶことの、おもしろさだと思う。

76期のクラスでは『国境の南側』に続き、後半は『私たちの生涯最高の瞬間』(2007年)を学んだ。アテネ五輪で銀メダルを獲得した女子ハンドボール代表チームの物語だが、なんと言っても「아줌마パワー」である。特に、チリチリパーマ頭のキム・ジヨンが慶尚道訛りの啖呵でぶっ飛ばすのに、手こずったこと手こずったこと……。

さて、このクラスで一番楽しいのは、映画を一本仕上げた後、「あれがいい、これがいい」と議論しながら、次の作品を選ぶ時だろう。

77期の最初の教材は、チャ・テヒョンがトロット歌手を演じる『覆面ダルホ』。教室は早くも、歌唱練習の場と化している。



上級作文クラス
(第74期世話人 M.T./2007年12月)

(現在の「멋진 글쓰기」クラスです)

唐突ではあるが、2007年4月ごろの自分を振り返ってみたい(冒頭からの回想をお許しください)。韓国という国に興味をもちはじめて3年、韓国人の友人もできた。その友人たちと、メールやcyworldを通してやりとりをする機会が増え、韓国語で文章を書く力を付けたいという思いが強くなっていた。会話ではなんとか取り繕えても、文字として残すとなるとごまかしがきかない。しかも、独学では習得が難しい作文。現代語学塾の広告が目に留まったのは、どこかに作文が学べるところはないだろうかと探しているときだった。クラスを見学してみると、とてもレベルが高い。このクラスで自分がついていけるのだろうか、他の人の足手まといになるのではないだろうか。入るべきか、入らざるべきか。それからの1週間は、寝る間も惜しんで考えた……おっと、字数を稼ぐために始めた回想が、ずいぶん長くなってしまった。

そんな私がなぜこのクラス報告を書いているのか。レベルの高い人たちに揉まれる覚悟で受講を決心したため、だけではない。このクラスの特殊な事情により、この語学塾のことを何も知らない新参者の私が世話人を引き受けることになったからである。

と、まともな報告が書ける立場にないことの根拠(言い訳ともいう)を長々と示したところで、そろそろ報告を始めなければならない。

4月14日の初授業。このクラスは「作文」と銘打っているが、生徒の各人が日本語の文章を選び、それを韓国語に翻訳して持ち寄ることが多い。そのため、同じ教材で人によってどのように訳し方が違ってくるかという比較はできないが、その反面、自分では普段手に取ることのない原文(日本語)テキストに触れ、それを人がどう訳しているかを見ることができる。たとえば、この日の題材を見ると、Kさんが鶴見俊輔氏とアーサー・ビナード氏の対談、Tさんが草野心平の詩とそれを日本語特有の表現を駆使して解説したもの、もうひとりのTが他愛もないエッセイ(作者に失礼)と、三人三様だ。また、日本語で読んだときの難易度はさまざまでも、翻訳しようとすると、それぞれに違った難しさがある。日本語が簡単だからといって、翻訳も簡単とは言い切れない。そのあたりが、自分で作文をすることと、他人が書いた文章を翻訳することとの違いなのかもしれない。

このクラスのもうひとつの強みは、陰の講師(?)であるHさんの存在。先生から、ネイティブの立場での指摘が入るかと思えば、Hさんからも、先生が見落とす点について、日本人の立場での鋭い指摘が入る。油断していると、思わぬほうからツッコミが入り、授業が終わる頃には心身ともにボロボロになっていることもある。でも、この爽快感はなんなんだ~ぁ~ぁ~。この爽快感を味わいたい方は、ぜひ作文クラスへ。おっと、うまい具合に勧誘の文で締めくくることができそうだ(これも唐突だけど…)。



韓 ─>日翻訳通信講座  (受講生 M.H./2008年11月)

先日8回目の課題を提出しました。あと2回で終わりです。今まで「通信教育」というものを継続できたためしのない私にとっては、とても貴重な経験です。まず、提出に締め切りがないのが、細々とでも続けられた理由かと思います。「締め切りがない」ということをはじめは単に「時間的に余裕がある」という意味でとらえていましたが、萩原先生の丁寧な添削を通じ、「何度も読み返し日本語として練り上げる時間」という意味として実感するようになりました。じっくり考えた結果、先生からの詳しいアドバイス(ときには辛口コメントも!?)いただけるのがありがたく、受講を始めた1年前と比べて翻訳に対する見方が変わってきたように感じます。

今まで訳文の不自然さが気になりつつも相談する人がいなかったため、翻訳の通信講座を探していました。翻訳の基本的なルールを知り、韓国語独自の言い回しを日本語らしく翻訳することは、独学では限界があると感じていました。しかしいざ探してみるとほとんどが英語の講座でしたが、偶然こちらを見つけて申し込みました。案内の中の「通学が難しい人」 「読解力をつけたい人」 「もっと上を目指したい人」というすべてが当てはまり、さらに「マンツーマンでプロの翻訳テクニックを伝授」という文に惹かれました。まさにその通りです。毎回びっしりとチェックやコメントが入ります。本当に日本語力の不足を実感しました。課題も回を増すごとに難しくなってきました。一度目を通しただけでは何の話題なのかさえも分からないような記事や、独学では訳してみようとは思わないような記事を時間をかけて翻訳し、それを添削していただけるのは、力になると感じています。

課題はあと2つとなり、またどんな難しい記事なのかと思いますが、ここまできたら最後までギブアップせず提出しようと思います。どうぞよろしくお願いします。

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